「天文館」の歴史① その考察の方法
「天文館」の歴史といっても、私は、「アーケード」が出現する前夜から今日までの時間に限定して検討したい。
藩政時代から太平洋戦争終戦にかけての、その歴史は唐鎌祐祥氏に『天文館の歴史 終戦までの歩み』(春苑堂かごしま文庫 ⑤)という労作がある。興味のある方はご一読いただきたい。
しかし、前回の「『天文館』ってどこ?」という問題に対して、氏は同書の標題を「天文館」とするか「天文館界隈」とするかで、「天文館の範囲」を検討している。その触りだけは記しておこう。
〈北は千石馬場、南は山之口本通りに、西は文化通りに、東は松山通りに囲まれた区画を天文館と考えているこれに各馬場や通りの沿道を加え、しこすふくらませた区画といってもよい。天文館通りを中心として千日町北部と東千石町東部が天文館である。
あるいは、更に周辺部を入れ、もう一回り広い千石馬場、樋之口本通りと、二官橋通り、照国通り(呉服町本通り)に囲まれた区画内を天文館という人もいる。〉
同書が執筆されたのは1990年当時、すなわち、20年近く前だ。照国通り以東の中町、納屋通り、金生町は当然含まれていない。唐鎌祐祥氏は今年70歳になられる。そのことを考えると、同世代の人よりもずいぶんと広い範囲で「天文館」をとらえていることは事実だ。
つまり、この20年近くの間に、氏が規定した範囲は中町、納屋通り、金生町も含めて急速に一体化を進めてきたことになる。その最終的な仕上げが、日本初の国道をまたぐジョイントアーケードの設置である。すでに国道225号をまたいで、東千石町と中町は一体となっている。また、電車通り沿いのジョイントアーケードも現在建設が進んでいる。
その一体化、そしてさらに回遊性が高まることを見越して、現在山形屋は売り場面積を大きく拡張しようとしているのだ。
さて、本題「天文館」の歴史に戻るが、方法論として現在と過去のモダニティ(Modernity=現代性)の比較検討で進めていきたい。ここで私がいうモダニティとは、日本語で置き換えると「不易流行」ということになるだろうか。「新しきもの、過ぎ去ったもの、変わらざるもの」の弁証法的な社会編成形態をいう。
アン・フリードバーグは著書『ウインドウ・ショッピング 映画とポストモダン』(Window Shopping: Cinema and the Postmodern 1993)の冒頭で、「Modernity」を次のように定義している。
〈私はモダニティの定義を18世紀後半から19世紀前半にかけての工業化および都市化と同時期に生じた社会形成と考えている。こうした変化は最初に資本主義の国際都市(パリ、ベルリン、ロンドン、ニューヨーク、シカゴ、モスクワ)に影響を与えたが、それらの都市の発展(そして衰退)の速度にはばらつきがあった。〉
この議論でいくと、工業化、都市化という問題では日本は1世紀遅れていることになる。しかし、モダニティを「近代性」と解釈すると「発展」と「衰退」の「速度」という側面が強く見え、彼女の議論の通りになるが、それを「現代性」と解すればどのような発展過程にあっても「新しきもの、過ぎ去ったもの、変わらざるもの」は必ず存在し、その弁証法的な社会編成形態を「モダニティ=現代性」だと考えるのが妥当ではないだろうか。
つまり、あらゆる分野でのプレモダン、モダン、ポスト・モダンなる様式は、社会の発展過程の呼び名ではなく、社会を形成している要素に他ならない。したがって「速度」は問題にならないと考えるべきだろう。大切なことは、工業化、都市化を進めた生産手段の変化、都市の発展および衰退を担った事業者(資本家)たちの動きである。モダニティとは「上部構造」にほかならず、「下部構造」としての担い手たちの動きが都市の在り方を左右する。18世紀後半から19世紀前半の資本家たちは、自らの資本のために工業化をすすめ、都市化をすすめ、労働力確保に躍起になった。そうして労働力として都市に流入してきた労働者たちが、群衆として社会生活を形成したゆく。だが、「新しきもの、過ぎ去ったもの、変わらざるもの」を見据えていたのは資本家たちではなく、搾取される側であるそういった群衆の視線だった。
結局モダニティとは、搾取する側の資本家と、搾取される側の群衆の、双方の視線が創出した弁証法的形象だと考えるべきだろう。
「天文館」に話を戻す。
まず、街としての構造を見る。「天文館」は南北に伸びる天文館通りを中心にしてひろがってきた繁華街だ。この天文館通りが活況を見せはじめるのは、大正中期から昭和初期、つまり1920年代を中心とした時代である。1925年様式、つまりアールデコ様式が日本の都市生活の中にもひろがりはじめ、鹿児島の都市生活も一気にモダニズムを帯びはじめる。
このモダニズムは「遊歩」に象徴されるだろう。「遊歩」とは、目的もなしに街を歩くことをいう。「天文館」は「遊歩者」(フラヌール)の視線によって、大きく変貌していくのだ。(つづく)
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