「天文館」の歴史③ 疎外される群衆
2008年09月02日

競い合うように掲げられた大きな看板、横断幕、旗、そしてアール・デコ様式をモダニズムの象徴として受け入れて建てられた映画館。「天文館」は、そこにある「商品」そのものを「夢」として膨張させ売りさばいてゆく。商店街は「夢の街」、つまり幻像があふれかえる街となったのである。
(写真は山形屋増床工事のためにつくられていた防護壁が撤去され、あらわになったアーケード。まさに「装置」と呼ぶにふさわしいカタチをしている)
その幻像を求めて、群衆はさらに集まる。群衆の視線がどこに集中するかで、その「夢」のあり方も大きく変わる。最初に視線を集めたのは映画館だ。「天文館」でのモダニズム拡散と無声映画(活動写真)の黄金期はちょうど重なる。これは、昭和4、5年頃のトーキー勃興期まで続く。
歩調をあわせるように視線を集めたのは、千日町を中心に乱立したカフェだ。カフェは店そのものだけでなく、そこで働く者、つまり女給でも視線を獲得した。千日町のある路地は、着飾った女給たちが頻繁に往来するので「美人小路」と呼ばれたそうだ。さらには、新聞紙上で女給の美人コンテストなども実施されていた。
ここで、前出アン・フリードバーグのモダニティの定義を思い起こしていただきたい。〈私はモダニティの定義を18世紀後半から19世紀前半にかけての工業化および都市化と同時期に生じた社会形成と考えている〉。1世紀遅れてはいるものの、日本でも工業化と都市化によって社会が形成されていったことはまちがいない。
そこに顕在化しているものは、あきらかに「疎外される群衆」の姿である。
単なる街路であるにも関わらず、歓楽街という幻像に気づくことなく彷徨い続ける人々。売り子であり同時に自らを商品とする女給たちに幻像を求める人々。あるいは女給たち自身。普段は労働者として働き、またあるいは普段は妻、母親として家に閉じ込められた人々が、気晴らしのための幻像を求めて「天文館」に足を運ぶ。そしてモダニズムという「流行」に身を任せ、商品を「モノ」としてではなく、幻像として消費する。モダニズムは「物神崇拝」を喚起する。必要だからではなく、流行っていることが大切なのだ。群衆を成す人々は、映画や娯楽は群衆が主人公であると思い込んでいるが、実はそのことも幻像に過ぎない。逆に人々は現実からどんどん疎外されていく。
工業化と都市化を推し進めたのは、資本家と労働者だ。繁華街「天文館」は、労働者たちの疎外感を忘れさせるために、さらなる資本が用意した幻像を生み出す装置だった。都市労働者が幻像=ユートピアに浸っているとき、はるか北のオホーツク海では小林多喜二が描いた『蟹工船』が、人間を人格のない労働力とみなし昼夜隔てなく操業していた。人間の疎外だけが、モダニズムの影で確実に社会にひろがっていった。
都市の繁華街で群衆に幻像=ユートピアを与えていた事業者=資本家たちは、繁華街に新たな世界を生み出そうとする。街路の舗装とアーケードの建設だ。それは繁華街を街路から、世界へと変えていった。(つづく)
歩調をあわせるように視線を集めたのは、千日町を中心に乱立したカフェだ。カフェは店そのものだけでなく、そこで働く者、つまり女給でも視線を獲得した。千日町のある路地は、着飾った女給たちが頻繁に往来するので「美人小路」と呼ばれたそうだ。さらには、新聞紙上で女給の美人コンテストなども実施されていた。
ここで、前出アン・フリードバーグのモダニティの定義を思い起こしていただきたい。〈私はモダニティの定義を18世紀後半から19世紀前半にかけての工業化および都市化と同時期に生じた社会形成と考えている〉。1世紀遅れてはいるものの、日本でも工業化と都市化によって社会が形成されていったことはまちがいない。
そこに顕在化しているものは、あきらかに「疎外される群衆」の姿である。
単なる街路であるにも関わらず、歓楽街という幻像に気づくことなく彷徨い続ける人々。売り子であり同時に自らを商品とする女給たちに幻像を求める人々。あるいは女給たち自身。普段は労働者として働き、またあるいは普段は妻、母親として家に閉じ込められた人々が、気晴らしのための幻像を求めて「天文館」に足を運ぶ。そしてモダニズムという「流行」に身を任せ、商品を「モノ」としてではなく、幻像として消費する。モダニズムは「物神崇拝」を喚起する。必要だからではなく、流行っていることが大切なのだ。群衆を成す人々は、映画や娯楽は群衆が主人公であると思い込んでいるが、実はそのことも幻像に過ぎない。逆に人々は現実からどんどん疎外されていく。
工業化と都市化を推し進めたのは、資本家と労働者だ。繁華街「天文館」は、労働者たちの疎外感を忘れさせるために、さらなる資本が用意した幻像を生み出す装置だった。都市労働者が幻像=ユートピアに浸っているとき、はるか北のオホーツク海では小林多喜二が描いた『蟹工船』が、人間を人格のない労働力とみなし昼夜隔てなく操業していた。人間の疎外だけが、モダニズムの影で確実に社会にひろがっていった。
都市の繁華街で群衆に幻像=ユートピアを与えていた事業者=資本家たちは、繁華街に新たな世界を生み出そうとする。街路の舗装とアーケードの建設だ。それは繁華街を街路から、世界へと変えていった。(つづく)
「天文館」の歴史⑩ デパートの誕生の前に
「天文館」の歴史⑨ 「マガザン・ド・ヌヴォテ」と「天文館」
「天文館」の歴史⑧ もう少しパリのことを
「天文館」の歴史⑦ 浮遊する人々
「天文館」の歴史⑥ パリはどうなっていたか
「天文館」の歴史⑤ 文化的天幕装置
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Posted by フラヌール at 16:52│Comments(0)
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