「天文館」の歴史⑩ デパートの誕生の前に

2008年10月05日

「天文館」の歴史⑩ デパートの誕生の前に 2008年9月25日、鹿児島市にひとつの衝撃が走った。三越伊勢丹ホールディングスが傘下の三越のうち池袋(東京都豊島区)、武蔵村山(東京都武蔵村山市)、鹿児島(鹿児島市)、名取(宮城県名取市)の不採算4店舗を来春までに閉鎖する方針を正式に発表したのだ。

(写真は閉店が発表された三越鹿児島店)

 朝日新聞(電子版)は次のように伝えている。

〈池袋三越など4店舗閉鎖発表 売り上げ低迷 2008年9月25日12時12分
 三越伊勢丹ホールディングス(HD)は25日、傘下の三越のうち、池袋(東京都豊島区)、武蔵村山(東京都武蔵村山市)、鹿児島(鹿児島市)、名取(宮城県名取市)の不採算4店舗を来春までに閉鎖する方針を正式に発表した。ギフトなどを扱う神奈川・鎌倉と盛岡市の小型店2店も閉める。売り上げが低迷し、テコ入れしても回復の見込みが少ないと判断した。

 4月に経営統合で発足した三越伊勢丹HDの本格的なリストラ策は初めて。池袋店は、駅に接続するライバルの西武百貨店や東武百貨店に客を奪われ、売り上げが減少傾向だった。閉鎖後の土地と建物は不動産投資会社に750億円で売却する。武蔵村山店は2006年に郊外型ショッピングセンターの中に開店し、話題を呼んだが、売り上げが伸びなかった。

 地方店も郊外スーパーとの競合や地方経済の低迷で採算が悪化していた。伊勢丹との統合後には、グループの重荷になっていた〉

 これで見るかぎり、三越鹿児島店は統合当初からグループ内でリストラ候補に上っていたことがうかがえる。書かれている「テコ入れ策」とは、売り場の改変と全国の和洋菓子の名店を揃えた「三越スイーツ庭園」などのことだろう。それでも売り上げ低迷に歯止めをかけることができなかったのだ。

 このことを受けて、鹿児島市議会議員の小川みさ子氏は自身のメールマガジンの中で次のように記している。

〈さて、山形屋に並ぶデパート「三越」閉鎖という昨日のニュースには驚きました。九州一の繁華街「天文館」も、客脚が減り、天文館電停降車客が2万5000人の減少といいます。映画館もなくなった天文館。一つの時代が終わったようで淋しい限りですね。これから超高齢時代がやってくるというのに・・・いつか大型店舗がスラム化、テナントも客も入らない時代もやって来るかも知れません。

 天文館は空き店舗率が8.4%。つまり12店舗に1つは必ず空き店舗になっているということですね。一昨夜、旧十字屋横の道から旧まつき呉服店の方へ歩きましたが、ほんの短い通りで、3軒もの空き店舗があり、電車通り沿いでも空き店舗だらけです。

 大型店舗がやってくる中、消費者の購買意欲の喚起、固定資産税など市税増収、新規雇用の増加、など、メリットばかりを声高に叫び、中小企業、地域商店街の不安、代弁する私たちの声に耳を傾けてくれなかった、失政だと言えます。お年寄りが手押し車で、若者が乳母車で歩いて用を足せる街づくりで、コミュニケーションを大切にするのが、これからの街づくりの基本です〉

 ここで重要なことは、「三越」という百貨店がなくなったこととあわせて、「映画館もなくなった天文館」という点だ。先に述べてきたように、「天文館」は、「娯楽」と「消費」の場として発展してきた。大正から昭和初期にかけては映画、演芸、飲食という娯楽を一つの核=コアに、そして戦後はそれに加え山形屋、三越、高島屋という百貨店をもう一つの核とする2コア1モール的な商店街・繁華街として、さらにはその核内で互いに競争しあいながら力を蓄え、大衆=消費者の回遊性を高めて「天文館」そのものの範囲を拡大しつつ発展を遂げてきたのだ。

 映画館の消滅と百貨店の消滅、つまり繁華街の発展を支えていた2つのコアの消滅・衰退は、繁華街の回遊性に致命的な打撃を与える。小川氏の指摘する、

〈いつか大型店舗がスラム化、テナントも客も入らない時代もやって来るかも知れません〉

 は現実のものとなる日がくるかもしれない。すでに、エンパイヤ跡地、岩崎ホテルザビエルの跡地はもとより、この数年間で「天文館」地域の更地、あるいは駐車場は増え続けているし、路面店ですら空きテナントも猛烈な勢いで増えている。中心地の空洞化は確実に進んでいると見ざるを得ず、その不安を裏付けている。

 今回は、パリの「マガザン・ド・ヌヴォテ」から世界初のデパート「ボン・マルシェ」の誕生に重ねて、商業地の中にあるデパートの意味を検討するつもりだったが、そのためにも「三越」閉店の件に触れておかねばならなかった。


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Posted by フラヌール at 14:29│Comments(0)「天文館」の歴史
 
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